リコーが、全天球動画(360ムービー)用のカメラ(360カム)、「RICOH R」を6月に出荷する。リコーの360カムといえば、このジャンルの草分けになった「THETA」シリーズが思い浮かぶが、RICOH RはTHETAの技術を使いつつ、別の製品として展開している。

RICOH R開発チームのみなさん。左より、リグの開発などを担当する井内育生(いのうち・いくお)さん、開発全体を指揮する生方秀直さん、ソフト開発を担当する設樂侑里(したら・ゆり)さん。

360カムならばどれでも動画が撮れる。しかし、RICOH Rは「24時間連続でライブ配信ができる」ことを特徴としており、他の製品とは趣が異なる。しかもまずは「開発キット」という扱いでの販売だ。

なぜこのような製品を、THETAとは別に作ることになったのか? そして、なぜ「開発キット」なのか?

プロジェクトを指揮する、リコー 新規事業開発本部 SV事業開発センター n-PT リーダーの生方秀直(うぶかた・ひでなお)氏に話を聞いた(以下敬称略)。生方氏はTHETAを発案した文字通り産みの親の一人だ。彼がTHETAの次に「ライブ動画」に挑戦する背景には、どんな考えがあるのだろうか? 筆者・西田との対談の形で、2回に分けてお送りする。(後編はこちら

RICOH R Development Kit。6月に「開発キット」として出荷を開始する。価格は5万90800円(税別)。
RICOH R Development Kit。6月に「開発キット」として出荷を開始する。価格は5万9800円(税別)。

いつか来る「視覚ハック」の時代へ、魔改造機から実験

—— まず、なぜ「RICOH R」を作ることになったのか、改めて教えていただけますか?生方さんはTHETAの産みの親であり、THETAはすでにあるわけです。でも今回、RICOH Rを別の製品として、しかも「開発者向け」として出す。その辺の考え方を伺いたいんです。

現在、いろんなメーカーが360カムを作れるようになってきて、「あんなのは誰にでも作れる製品なんだ」みたいな言い方を日本の大手メーカーの人がするのも耳にしています。でも実際には「いい製品」は多くない。実は相当「踏んじゃいけない地雷」があって、そこを避けることが大きなノウハウなんじゃないかと思っているんです。動画はその地雷が特に多くて、それとRICOH Rを作ることには大きな関連があると理解しているんですが。

生方:確かにそうなんですけどね。2015年の夏に「全天球ライブカム実験機」、通称「魔改造機」というものを、技術的チャレンジとして作ってみたんです。

生方氏のチームが開発した動画配信用「魔改造機」。THETAをライブ配信に特化するため、放熱と処理能力向上を中心に改造を施していた。2世代作られており、現在のRICOH Rにつながる変化も見て取れる
生方氏のチームが開発した動画配信用「魔改造機」。THETAをライブ配信に特化するため、放熱と処理能力向上を中心に改造を施していた。2世代作られており、現在のRICOH Rにつながる変化も見て取れる

生方:スマートフォンとSNS以降、写真の扱われ方が大きく変わりました。どうでもいい写真がたくさん撮られるんだけど、そんな写真でも、仲間内の文脈で価値が大きく変わる。単にビールを飲んでいるだけの写真でも、意味がまったく変わるわけでしょう? そういう、普通のカメラの文脈とは違うものが増え、ビジュアルでのコミュニケーションの意味がまったく変わってしまった。THETAの企画の原点はそこです。

その時代から、ライブ動画のポテンシャルは感じていたんです。しかし、スマートフォンと一緒に持ち運ぶようなサイズ感・価格は、当時、技術的にはまったく実現できませんでした。

ずっと研究開発は進めていて、タイミングを計っていました。そこでちょうど魔改造機を作ることになりました。あれは上からTHETA Sが生えているような構造ですが、光学的にもライブで使えるものになっていて、ようやく、機械的な部分も、ソフト的な部分も準備が整った、ということで、「一度、映像の世界でどういう可能性が開花するのか、やってみよう」ということになりました。

その後、トータル100時間くらい、ドワンゴさん、DeNAさん、テレビ大阪さんなど、いろいろな方々と組んで全天球中継実験をやってみました。

その過程で得た確信は、「絵は荒いがライブでやっている独特の雰囲気や空気感、録画とは違った感覚、独特のなにかがあるな」ということです。

とはいえ、独自の感覚もありつつも、つまんないところもあるな、と(笑)。というのは、演出がしにくいですし、インフラ面でも整っていない部分がある。要は「おもしろびっくり映像ではあるが、飽きが来る」。単なる固定カメラからの垂れ流しでは、それ以上の展開がない。実験によって、それを直感したわけです。

「じゃあどうするの?」ということになるわけですが……。今のマーケットで、いきなり家庭用ビデオに仕立てて、普通の方々に「全天球のビデオ記録やライブ配信をしましょう」と言っても通じない。ライフスタイル提案というと大げさですが、そのような時期なのか? という疑問がありました。

—— つまり別のいい方をすれば、「360カムがあってもスマホはない状態」というか、条件が整えば色々な方が楽しむだろうけれど、まだその準備が出来てない状態である、ということですか?

生方:僕たちは、最終的にはヘッドセットによる「視覚のハック」の段階がやってくると思っているんです。いわゆるVRなのかARなのかはともかくとして。360ビデオへの取り組みは、その段階に向けた基礎技術開発、という意味合いもあるのです。

ただVRって、話題にはなっているのですが、毎日みなさんがヘッドセットをかぶっているわけではない。スマホは四六時中使っていてカルチャーとして定着していますが、VRはそこまでではない。今は意欲のある方が開拓している段階です。

しかし、回線技術や圧縮技術も含め、すべてがかみ合って視界のハックがメジャーになる時代は、いつか来るんです。しかしいまはそこまでいっていない。

THETAはカメラとネットとソフトのセット、今で言えばIoT的な仕立てでデザインしたわけですが、動画はそこまで行かないよねというのが正直な感覚です。とすると、いままでの感覚ではできない。

今回「開発キット」であり、名前がTHETAではないのも、要は、普通の量販店で買って持ち帰るステージではないという苦肉の策なんです。市場開拓も途上の中で、まずは出してみようということで「開発キット」にしました。

いいからとにかくやってしまえ! 社内で小さく・すばやくスタート

—— 日本の企業はこれまで、市場が出来上がる前に存在するプロダクトは会社の外には出さず、市場開拓も含め、すべてのプランが出来てから発表する場合が多かったと思います。もしくは、市場が出来上がるまで待つとか。市場開拓まで含めた巨大な、いってみれば戦艦のようなプロジェクトにして、巨艦を支えられない市場規模にしかならないなら止めてしまう、という決断になりがちでした。

魔改造機に関しても、R&Dの現場で似たようなものを作ることはあっても、それを社外に貸し出して、オープンな形で使ってもらう、ということは少なかった。「会社の枠を外れて可能性を模索しましょう」ということは、日本の企業が下手な部分だったと思います。

そういうことは、リコーの中でスムーズに進んだんですか?

生方:ありのままに言ってしまうと、勝手にやったっていうことですね(笑)。大きな会社特有の、社内調整だなんだかんだというものがありますので、僕らはそれを乗り越えつつやっています。西田さんがおっしゃる通り、社内に向け真面目に説明しはじめると「なんで?」という疑問ばかりが出てくる。それだったらやってしまって、怒られたらしょうがないね、ということで。

もちろん、誰にも断らずにやるわけではなく、直属の上司などには話しています。あと、僕自身が放し飼いになっているような側面もあると思うので。「生方だったらしょうがねえな」というブランドを社内的で確立しつつ、という感じですかね(笑)。

僕の中での戦略的な意図というのは、とにかく外に出してみて実戦投入してたたき上げる。外のプロの方と組んでみる、ということ。そこに非常に意味があると思っています。

社内で技術をレビューしても煮詰まってしまうんです。リコーはカメラのプロですが、映像のプロの会社ではない。だから、一刻も早く外に出して試したかったんです。

—— そうしたテストの段階で得た知見のブレイクダウンが必要になりますよね。開発キットとして提供すると、さらに広い意見が寄せられることになるので、それをフィードバックする仕組みも必要になります。いままでメーカーには必要なかった部分、例えば、開発会社にあってもメーカーには不要な作業と相対する必要がでてきます。そうした部分はいかがですか?

生方:従来型のコンシューマ向けの家電とは違うサポート、市場対応が必要になるのは間違いないです。

ですから、ウェブ上でのコンソールを用意しようとしています。USB経由でコントロールし、それを使って用途開拓していただくために、色々調整できるようにしています。カメラをコントロールするAPIを用意し、整備したのですが、APIだけでは使いづらいので、ウェブのコンソールから色々いじれるようにしてあります。例えば色味だったり。30秒くらいのタイムラグはありますが、簡単に設定を変えられます。

ツール類は、GitHubで公開をしようとしています。メーカーがGitHubにそのまま情報を出すことはあまりないので、この話はけっこう驚かれるのですが。

こういうことは、確かに、メーカーとしてはチャレンジングなところです。かといって、大規模な体制を最初から組めるわけでもない。なので、専用のユーザーズフォーラムをウェブ上に作って、自由に意見交換してもらおうとしています。もうフォーラムはあって、英語・日本語両方で書き込めるようになっているのですが、日本語の方は、みなさんシャイなのか、まだあまり書き込みがないですね(笑)。

こういうことを、スタートアップというか、企業内起業みたいにやっているわけですが、別にそういう風に大々的に宣言したわけでもなく、僕らの場合には、自然にそうなっちゃったんです。

—— リコーには、企業内起業的なものは存在しているんですか?

生方:仕組みはあるんですが、我々はそれに則らずしてやっています。大企業では、そういう仕組みを作ってから始めることが多いのですが、「野生でそうなっている」という感じですね。

用途開発的な知見についてはフォーラムからだだもれになっていくとは思います。それは我々がやりたかったことでもあるので。

ただ、それを技術としてどう高めるか、という部分は弊社内部にあるものです。同じものを見ても、製品への仕立て方は変わるでしょうし、実戦投入してたたき上げていく我々と、見ているだけの他社とでは違うのではないかな、と思います。

LiveShellを使ったのは「たまたま」だった!?

—— RICOH Rが今の形に落ち着くまでには、相当紆余曲折あったろうと思います。初期の魔改造機から熱の問題が大きかった、と聞いています。24時間動かしても落ちないレベルの機器は、実際他にない。

生方:開発キットをどういう仕立てにするか? 型(かた)がない世界だったんですよね。普通のカメラならアプローチが決まっていますが、そういうものではない。ですから、素のカメラ・カメラヘッドだけにして映像を垂れ流す機能と、microSDカードに映像を記録する部分、その2つに絞っちゃったんです。よくぎょっとされますが、ユーザーインターフェースもないですし。そういう意味では非常に大胆な作りだと思います。

——まず試していただく場合にも、CerevoのLiveShellみたいなものがあるからワンセットで使える、という部分もありますよね。LiveShellを使うことは、いつの段階で考えたんですか?

※編集部注: LiveShellシリーズは、本媒体を運営するCerevoが企画・開発したライブ配信専用機器です

RICOH Rの配信では、Cerevoの「LiveShell X」がセットで使われることが多い。写真ではスマホも使っているが、これはテザリングして通信回線を確保するためのもので、処理はRICOH RとLiveShell Xで完結している。

生方:本当に、たまたまですね。見つけたのは。魔改造機を使って、ある会社さんのVRに関するセミナーで話した時のことなんです。その時、配信システムを現場で見せたいという話になって、当時「LiveShell PRO」を使ってデモしたんです。まだ1080pの映像を出せる機材ではありませんでしたから、Cerevoさんには「はやく1080pになるといいですね」という話をしました。360動画だと、720pじゃ解像度が不足してしまうんですよね。いまはLiveShell Xになって、1080pになりましたが。

他のメーカー、例えばInsta360はPeriscopeを使っていますが、そういうカジュアルな世界でない使い方もあります。例えば、ライブ会場でRICOH Rを立ててライブ配信をする場合には、カジュアルな配信プラットフォームは使いづらい。当然用途が違いますから。そうした中、PCレスでコンパクトな配信システムが簡単にできて、すごく安定しているという意味では価値が高いです。

色々探してもらったんですが、他にはあまりなかったんですよね。もちろんPCを使ってもいいのですが、それが難しい場面も。そこでCerevoさんになだれ込んでお話をしてという流れです。Cerevoさんも社風として若々しい。ノリが非常にいいので、一緒にやりやすかった。まあ、我々もノリは軽いので(笑)。我々向けにモデファイしてもらい、RICOH R向けの配信コンソールをプロトタイプとして作っていただきました。

そういうプロトタイピングレベルのものを、打ち合わせの場で「やりましょう」と決断し、すぐ合意ができてしまう。「やりましょう」というのも、いまやなんか懐かしい語感ですが(笑)、そんな風に、お互いにメリットがある実験ができるので、今後もお話をさせていただければと思います。

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 といったところで前半戦派終了。後半は、大企業の中で新しいものを作るための組織論や方法論、今のモノ作りについて語っていく。

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